どうもーやまむらこういちです。
今朝がたの地震、皆さま大丈夫でしたでしょうか。あの嫌な記憶を嫌でも思い出してしまいました。
妻の実家が福島なのですが、とりあえず被害はなかったようでした。
地震に流れみたいなものがあるかどうかはわかりませんが、ニュージーランドでの地震も少し前にあったことですし、備蓄など見つめなおす機会を教えてくれているのかもしれません。
今日は編み物をしておりました
去年の冬にずっとやってみたかった編み物を始めたんです。棒編みを。
最初はマフラーあたりから始めるものですが、いきなり5本指の手袋から作ったんですね。
これなら大体一通りのことを一発で覚えられるだろうと思いまして。
まあ、やっぱり難しくて編み加減もバラバラで結構ひどいもんでした。
それでも何とか完成して娘と妻にプレゼントしましたが、改良すべきポイントはたくさんありました。
今年の7月に娘の幼稚園で夏祭りがあり、そこでママさん方に誘われてバザーに参加したんです。
私はスモッグを担当したのですが、その時にかぎ針もデビューしたんです。
棒よりは鍵の方がやりやすく、今まだはまっているわけです。
娘は今幼稚園年長なのですが、クリスマスには祝会があり、そこでサンタさんからプレゼントをもらうことになっているんです。
そのプレゼントを入れるために各自クリスマスソックスを持っていく必要があるのですが、その作成をしています。
まあ、去年のものがあるのでそれを持っていけばいいんですが、どうしても新しいのを作りたくて…。完全に自己満足ですが、これもこの時期だけでしょうからね。
とはいえ、楽譜もどんどん書いていかなければならないので手早く終わらせようと思います。
鼻歌を歌えば立派な作曲
編み物をしている最中は当然ながら楽譜を書くことはできません。
でも曲を作ることはできます。
前にどこかで見たことがあるのですが、「なんでもいいから思いつくままに鼻歌を歌ってみる。それが立派な作曲である。」と、こんなニュアンスの言葉があったんです。
私は高校で初めて編曲というものをして、大学で作曲をしました。
独学でというより、大した勉強もせず見様見真似での作業でした。
そんな私にとって作曲というのはものすごく難しいものだという風にとらえていました。
でも、オリジナルの鼻歌を歌ってみて、それが作曲であるというのならこんなに簡単なことはありません。
たとえ何かの曲に似ていたとしても、その曲と違えばオリジナルです。
その瞬間に新しいメロディを世に生み出したことになるのです。
もちろんそこに「売れる曲」とか「聴く人を感動させる」とかそういう条件が付くと途端に難しくなりますが、芸術として作曲という行為を行うこと自体はいたって簡単だし、特別な道具も知識もいらないんだと思いました。
今まで難しく考えすぎていた部分があったのですが、すーっと軽くなった気がします。
やまむらこういち、人生の目標
私には目標が一つあります。それは自分の曲を書くことです。
絵画でいうところの自画像のような自分を表す曲を書きたいのです。
その曲を聞けば、「あーやまむらはこんなやつだったな」とわかるような、それでいて自分が心から気に入って惚れ込むような曲を書くべく、自分のこと、自分の色などを観察しています。
編み物をしている最中も頭の中で音楽が絶えることはありません(何かの歌詞みたいだな…)
道を歩いていても、料理をしていても常に何かしらの曲が流れています。それは既存の曲だったり、即興でできた曲だったり。
頭が疲れているときは頭の中で曲ができないように、音楽プレーヤーで曲を流すことにしています。曲を聴いていれば、自分の中で作られたり再生されることはないからです。
売るための曲を作りたいわけではありません。もちろん売れるに越したことはないですが。
自分の色を見極めて、自分の色の曲を作る。これは鼻歌だけではできません。
これからも、紆余曲折がありながらも目標に少しでも近づけたらと思いますので、ほんの少しでも構いません、応援をお願いいたします!