雑記

最も曲つくりに適さない時期

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どうもーやまむらこういちです。
気が付けば1か月も更新が止まっていました。

4月に入り、娘が小学校に入学。
保護者会やら入学準備やら、幼稚園の幹事引継ぎやらでそれなりにバタバタしていました。

それに加えて、私はどうもこの花粉の時期に何かを考えることが苦手なんですね。
頭がぼーっとするというか、新しいものが湧き出てこない感じ。

湧き出てこないと何も進まない

大体は夕飯作ってる時でも、こうやってブログを書いている時でも、お風呂に入っている時でも、頭の中では常に音楽が流れているんですね。
それは既存の気に入った曲であったり、全く即興的な自作曲であったりするわけです。
時には勝手にとある曲をアレンジしたりもしていますが、別にそれをどうするわけではなく、湧き出るものを垂れ流しにしているようなものです。

でも、いざ楽譜を作ろうとかするときにはそういう湧き出るものがとても大事でして、ある意味機械的には進めることができない内容ですので、垂れ流さずに受け止めることで筆を進めていくわけです。
しかしながら、いつもこの時期ばっかりはまったくと言っていいほど湧き出てこないんですね。

直近で聴いた曲がループすることはあっても、新しいものは何も出てこない。
この音楽が絶えた状態ってのは、結構自分にとってストレスになっているんですね。頭が痛くなる。

まあそうは言っていられないので、とっとと楽譜を仕上げなければ。
さて、編曲する必要があるので、葉加瀬太郎の情熱大陸を動画で見たりしているんですが、この人本当に「音楽」というものを具現化しますよね。

音楽とは

私は小学校時代に、母が買ってきたクライズラーカンパニーのCDを聴いたのが初でしたね。
クラシックの名曲を大胆アレンジしたのを聴いて、ものすごく面白いと思ったんです。
このCDから知った曲もあるくらいで、原曲を後から聴いてまた驚いたのもいい思い出です。

そんな葉加瀬太郎氏がこんな世界的有名なプレーヤーになるとはその時は思っていませんでした。
しかしながら、この人の演奏を見ていると「なんと自分の演奏とは堅苦しいものか」とよく思います。

音を楽しむで音楽。それはわかっているし、最近はかなり楽しめるようになってきたと思っているのですが、この人を見ているとまだまだだなーと思いますね。
音を奏でる喜び、他の奏者と音で会話する様子がビシビシと伝わってきます。
もちろんどのプレーヤーも相当な実力の持ち主なので、演奏技術もものすごいのですが、もはやこの楽しさの前では音のミスなんかどうでもよくなるほど引き込まれてしまいます。

まあそれは「この人たちはめちゃくちゃうまい」というフィルターがあるから、というのもあると思います。
基本的にはミスらないでしょって思っているから、より安心して聴いていられるというのもあるでしょう。

舞台は危ないところではなく客に害はない

私たちアマチュアではなかなかそういったフィルターをかけてもらえませんから、やはり演奏するときには独特の緊張感があるわけですね。
音外したら…、指が転んだら…、跳躍がうまくいかなかったら…。
そういう心配は誰もが経験あると思います。

でもよくよく考えたら、自分がどっかの演奏会を見に行った時に、そういったミスを気にするだろうかと。
あの人、〇回音を外したな、とかって数えたりしないですよね。
ミスってもすごく堂々として、すごく音楽にノリノリだったら本当に気にならないんですよ。

逆にミスった瞬間にそれが顔や音に出たりすると、まあ気になりますよね(笑)
だからそういうのってすごくもったいないと思うんです。わざわざミスを目立たせているようで。

私が所属している楽団に限らず、いろんなアマチュアの団体は、ある意味ものすごくまじめなんだと思います。
自分の楽譜にかじりつき、時折指揮を見る。
表情は固く、自分の仕事に一生懸命。

これがノリノリのポップスでもそうなんですから、お客さんとしても心の底から乗ることができないんですね。
奏者の緊張がお客さんにも伝わってしまっている。だからミスるとお客さんとしてもなんか失敗した気がして、印象に残ってしまう。

こだいらEM(Enjoy Music)バンドの名前に懸けた思い

合奏とは一人でやるものではありません。そこにいる奏者と聴者すべてを巻き込んで一つにする行為です。
そして曲の調理方法は1つしか解が無いわけではなく、たくさんのアプローチや表現があるはずです。
どの演奏でも正解であり、それがその団体の出した答えです。
音を外すとか、指が回るとかはその次の話。まずは自分たちの表現したいことを優先し、そして奏者が何よりもその曲に没頭することが大事だなと思います。

これから8月の本番に向けて、より練習に身を入れていかなければなりませんが、技術的な部分であまり悩まず、とにかく曲に没入し周りの人との音での会話を大事にしていきたいと思っています。
まあ、言うは易く…。指揮者がどれだけ言ってもなかなかそうはならないんですけどね・・。

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